佐々木の恋歌綴 佐々木和夫
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七十年を生きて
 2月のある日、家に帰ったら、川崎市からの手紙が届いており、そのなかに路線バスの「敬老特別乗車証」なる川崎市内無料のパスが入っていた。市の財政難からいろいろ論議はされてるが、70才になると取り敢えず市からいただける特権である。
 私もこの3月で古稀を迎えた。「人生70年古来希れなり」とか昔は言ったらしいが、今はちっとも希れではなくなった。とは言うものの、弟は還暦亡くなり、私より3日遅く生まれた義弟は古希を目前にしてこの2月に亡くなったし、もう一人の義弟も50才台で逝っている。
 そう考えてみると、古希まで生きられたということは、まあまあであろう。親父の逝った72才までは射程距離内だし、平均寿命までもあと数年のところまで生きてきた。
 ところで、若い頃は、70才過ぎたような人は、かなりの“じじい”だと思っていたが、自分がそうなってみると、そんな実感はまったくない。年齢とともに身体の部品が老化劣化していることはまちがいないが、気持ちだけは若い頃とそう変わらない。
 数年前の年末、YJSの渋谷事務所を閉じたときも、次なることとして、4月からでも、どこかの大学に入りたい、最新のパソコンが欲しいと思った。気だけは若い。パソコンは息子のお下がりがくるとかで2件とも我が家の大蔵大臣に却下された。彼女の“終いの栖(すみか)づくりプラン”が優先するらしい。
 働く意欲だってちっとも変わってはいないのだが、年金年令に達していない失業者も多い世の中、私ら年金で何とか生活できる人は遠慮するべきだろうと謙譲の美徳を発揮している。同級生でも働いているのはオーナー経営者だけになった。
 聖路加国際病院の日野原名誉院長の主宰する“新老人の会”の資格年令は75才以上だというが、老人と言うのはそのへんからが妥当だろう。新老人の会のモットーである「愛し愛されること・創(はじめ)ること・耐えること」は、これから生きて行く上でのいい指針である。
 特に「耐えること」は久しぶりに聞いた。私たちの少年期には、耐乏生活と言うのがあった。戦争に負けてしまったが、苦難に耐える経験だけは残った。空襲に怯える日々があって平和の有り難さがわかる。食料難を経験して、食べるもに恵まれた今の生活の有り難さがわかる。
 豊になり過ぎて、食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲んで、糖尿病のような生活習慣病が増えてきた。囲碁仲間の一人は、アルコール依存症で、肝臓を悪くし、糖尿病にもなり入院したが、お酒の誘惑に耐えられなかったようである。
 時代が過ぎて耐えることを忘れてしまったか、耐えてきた反動か、生活習慣を改めようとしない仲間もいる。人生いろいろ、考え方もいろいろだから、強制はできないが、極力健康を保つように、誘惑にも耐えてゆかねばならない。
 私には最近楽しみが一つ増えた。ほとんど毎日だった晩酌を身体的事情で週2日だけとした。5日間は休肝日である。今日は酒が飲めるという日が、心待ちな新たな楽しい日となった。同じ酒でも格段うまく感ずるから妙である。
 節酒、禁煙、粗食小食(ヘルシー食)などは、他人から強制されてもうまくいかない。自分できめて自分で守しかない。これから先、何年生かしてもらえるかは神のみぞ知るだが、よりよく生きるためもに為すべきことは可能な範囲でやってゆきたいものである。

 

読書と作文とカラオケと
 YJS短信に我がつたない文章を載せていただくようになってから早や6年目になる。吉田社長のちょっとしたお話がきっかけで、よくも続いたものである。おかげ様で私にはいいことが沢山あった。
 少しはましな文章が書けないものかと、“文章の書き方”みたいな本を買ったり、図書館から借りたりして何冊か読んだ。その割には上達してないかも知れないが、大概の本にいい文章を沢山読めと書いてあるから、文書の視点から本を読むことも知った。
 古今の名文と言われる「おくのほそ道」に興味を持ったのも、そんな影響である。ノーベル賞作家、川端康成の名作「雪国」「伊豆の踊り子」などもその視点から読み直してみると、その筆力にあらためて感心する。
 ノンプロの本も沢山読むようになり、一時期はノンプロのノンフィクションばかり読んだが、そのなかにもいいものが沢山ある。ノンプロからセミプロあるいはプロになる過程の人の本も結構面白い。
 なかでも「寿司屋のかみさんエッセイストになる」なんて言う本が印象に残った。寿司屋のかみさんが7年かかって本を出版した。そのへんの事情が面白く書いてあり、一気に読んだ。
 若い女性が優れた才能に恵まれて早々に芥川賞をとるのも大したものだが、本業の傍ら、400字詰め原稿用紙約400枚を7年がかりで3回書き直して本を出版したというのも大した根性である。その過程で、出版元の女性編集者からエッセイの書き方についていろいろアドバイスを受ける記述も参考になる。
 彼女の作文は、お得意さんへの請求書に添える挨拶文にはじまって、新聞や雑誌に投稿し、それなりの好ましい手応えを得たことから熱を帯びていった。渡しの場合もYJS短信の読者の一部から、「読んでるよ」とか言われて、続けてきたようなものだが、それがなかったら、とうの昔にやめていた。
 カラオケだって聞いてくれる人がいるから歌う気になる。お世辞でも拍手してもらえれば、また歌う気にもなろうと言うものである。もっとも居酒屋のカラオケは相互扶助のようなもので、本心からではなく拍手のお返しに拍手する感じの場合もあるが。
 カラオケをやり出せば、やはり少しでもましに歌おうという気になる。プロ歌手や、歌の上手な人の歌に耳を傾けるようになる。このへんのプロセスは作文と同じようなものだなあと思う。もっとも趣味のほとんどはそんなものかも知れない。
 私のカラオケは、大阪単身赴任時代のおみやげのようなものである。私が住んでいたアパートの階下にスナックがあり、そこのママさんにコーチしてもらって歌い始めた。このママさん名コーチのおかげで、多少の自信もついたのだから感謝している。
 作文のコーチは前述したように本である。「エッセーの書き方」のような通信講座もそれなりにあるが、今さら受ける気もしない。テキストなどに書いてある添削例などみても、添削後がよくなったとは思えないものすらある。
 ともあれ、おかげさまで作文の要領は大体つかんだ。囲碁の会の季刊誌などへの投稿も予定しているが、まわりを見回すと投稿する対象の地元のメディアがそれなりにある。投稿には、それなりのスタデイが必要で、図書館での読書と作文など、年金生活者には安上がりなもってこいの趣味で、皆さんにもおすすめである。

 
 


囲碁・将棋とともに(短信2004/5 Vol.152掲載)
 ある超大手企業の社長が、入社式で、新入社員に「趣味を持て、英語を学べ」と話したことは以前にも書いたが、いろいろ難しいことを言うより、本当に人生への適切な助言であると感心している。
 英語の方は、英会話塾の女の先生に「あなたの英語はズーズー弁」と言われて、早々に挫折してしまったが、趣味は囲碁・将棋とか若干あって、それなりに生きて行くための大きな支えになっている。
 もともとゲームが好きで、将棋は子供の頃に覚え、学生時代を含む一時期はかなり熱中した。その甲斐あって工学部(350名)同好者の将棋大会では決勝までいった。仙台で将棋名人戦速報大盤解説の駒動かしのアルバイトなどやったのも楽しい思い出である。高名なプロ棋士と会食でき、主催新聞社からお金までもらえた。
 囲碁は、学生時代に親友が下宿していた先の碁好き親父から手ほどきを受けた。囲碁がどんなゲームかだけはわかったが、実際にやり出したのはジャパックスに入ってからである。中年過ぎて地域の囲碁同好会に入ったりしてからは徐々に囲碁の方の比重が増していった。
 好きで長いことやっている割にはあまり上達せず、囲碁4段、将棋3段で低迷しているが、そのあたりが対戦相手も多くてちょうど適当のようである。ついでながら、作文は5年以上やったから初段くらいはあると自認しているがいかがでしょう?
 読書や作文も好きで私の趣味の一つだが、こちらは人とのお付き合いなしでもできる世界である。その方を好む人もいるようだが、一人黙々とではやはり淋しい。
 居酒屋カラオケも好きで、近所の飲み屋で大いに盛り上がった時期もあったが、飲むほどに酔うほどに相棒によってはハシゴもしたくなり、軍資金が続かない。馴染みの店のママさんの病気閉店を機にプッツリとやめた。残念ながら、年金生活では金のかかる趣味は続けられない。
 先日、囲碁仲間の懇親会でカラオケ大会があり、「囲碁は四段だけど、カラオケは3級です。サンキュー」とか、堀内孝雄ばりにやったら結構受けた。「人生で経験したことに無駄なものはない」とか誰か言ったが、その通りだろう。
 囲碁・将棋は、市の福祉施設でやっている限り、毎日やっても一銭もかからない。友達も沢山できて、舌戦もまた賑やかである。漫才師か落語家にでもなったらよかったにと思うようなキャラクターもいて笑いをまき散らしている。
 私は、川崎市老人囲碁連盟(会員450名)のというのにも数年前から入っているが、そこの幸(区)支部(会員60名)の支部長に推されてしまい、4月から一期2年間ボランティア活動をやることとなった。いずれはそうなるだろうと思っていたが、現支部長の体調不良で予定より早まった。
 まあ私もこの3月で70才古希だから、社会へのご恩返し?に、ささやかながら地域社会のお役に立つのも悪くはない。この会では季刊誌も出しているが、もう少しましなものをつくりたいなあと思いはじめているから、いずれやることになりそうな予感がする。これも趣味の一環である。
 これを書いている最中に北海道は札幌在住の学友から電話がきた。「いま千葉まで出てきているから明日にでも碁をやろう」碁をやりに川崎まで来ると言う。彼は日本棋院七段の正式免状を持った強豪である。「友あり遠方より来たる」まさに楽しいことだが、これも共通の趣味を持ったおかげではある。「趣味を持て、英語を学べ」である。