金 型 メ ー カ 訪 問 記 (2)

(YJS・渡辺利広)


 今回金型メーカ訪問記に御紹介させていただくユーザ様は、愛知県刈谷市にてプレス金型の設計製作を行ってみえます (有)橋村製作所 様 です。
 昭和47年に創業されて今年で25周年を迎えられ、CAD/CAM(2M/R、2M/S、2M/Rnote) 6台とマシニングセンタ、ワイヤ放電加工機など多数のNCマシンなどの設備を保有され、主に自動車関連部品の順送金型を生産しておられます。
 専務の橋村静雄様にインタビュー致しました。  
< 渡 辺 >
独立されたきっかけは?

< 専 務 >
会社を起こす前は、社長と親戚の高橋製作所(同じく刈谷市内に有)に勤めていましたが、何か商売を始めようと私が社長を くどいて金型屋をはじめました。社長には『やすり』の技術があったため何とかやっていけると思いました。

< 渡 辺 >
最初の頃は、どうでしたか?

< 専 務 >
はじめは農家の納屋を借りてやっていました。
最初の設備としては、フライス、研磨、プレス、コンタマシン等ではじめました。
その納屋で8年程やっていましたが、WC放電加工機と放電加工機を設備するために、今のこの工場へ移転しました。 当時は今の半分の建物でした。

会社全景 会社全景

< 渡 辺 >
WC放電加工機を導入した頃はどうでしたか?

< 専 務 >
その年は昭和55年で、非常に強く印象に残っています。当時300万円/月の売り上げの時、なんと4000万円の 投資を行いました。借金は返済しなければならないし、WC放電加工機を動かさなければならないので、 夜もねむれない日が続きました。約1ヶ月位の間、家にも帰らないでJAPAXの自動プログラミング装置 JAPT2A/Eの前で寝起きをしました。

< 渡 辺 >
WC放電加工機を導入した効果はどうでしたか?

< 専 務 >
仕事はたいへん豊富にありました。それで大きな借金ができたわけです。WCを導入して売り上げは倍になり、 給料も倍になるような、倍々ゲームが続く時もありました。今から考えれば夢のような時期を体験できたわけです。

CAD/CAMルーム@

CAD/CAMルーム@

< 渡 辺 >
仕事の流れはどうでしたか?

< 専 務 >
WCが入って仕事の流れがまったくかわりました。今までやすりで仕上げていたものが、夜セットして帰り、 朝来るとできあがっているようになったわけです。納期がない時は朝までWCの横で過ごしたものです。

< 渡 辺 >
マシニングセンタを導入した頃はどうでしたか?

< 専 務 >
バブルがはじけた時にマシニングセンタを導入しました。私は慎重な性格なため、バブルの時にあまりお金を 使わないでせっせと銀行に貯金していましたが、バブルがはじけてマシニングメーカ各社が値下げをはじめた頃に 今だと思って導入しました。

CAD/CAMルームA

CAD/CAMルームA

< 渡 辺 >
これまで順調にやってこれた要因は?

< 専 務 >
常日頃から『何がどうして、そうなるのか』を考えることが重要だと思います。
ビジネスの基本はハートにあると思いますので、回りの人との人間関係、客先はもちろんのこと、外注先やメーカ、 商社等を含め人間関係を重要視してきました。
その結果、非常に多くの回りの人達に助けられました。そうはいっても、技術的な裏付けがあっての事であるという事は 言うまでもありません。納期や品質など、顧客の要望にはとことん答える事が必要だと思います。

< 渡 辺 >
これからの展開をどう考えてみえますか?

WEDM加工機

WEDM加工機

< 専 務 >
今まで25年やってこれたのは、トヨタ自動車のお膝元のこの刈谷でやってこれた事が大きな要因だと思います。 人は選んで付合うようにして、時代の流れに遅れないように心掛けるようにする事が大切です。我々金型屋は、 頭を使うだけでなく、頭と体を効率よく使うことが重要です。

順送金型サンプル

順送金型サンプル


 今回で2回目の対談となったわけですが、先の工藤社長も今回の橋村専務も今年でちょうど25周年を迎えられます。 一口に25周年といっても、今まで人にいわれぬ苦労や出来事があったことと思います。それをくぐり抜けて発展され、 今の会社が成り立っていると思うと、つくづく大変だったろうなと思います。橋村製作所様には、30年、 40年とこれからも頑張って頂き、不景気感のただよう日本の産業界ですが世界に誇れる金型業界を リードしていっていただけるよう祈念し、今回の金型メーカ訪問記を締めくくります。


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