放電加工補遺物語
− 自動車産業と放電加工[5](1/2) −
 この章の最後に超大型放電加工機のことを書いておこうと思う。 自動車業界が、当時、放電加工に期待したものの一つに、ボデー、 ルーフなどの大物板金プレス金型の加工がある。 このプレス型の工期短縮の名案があれば百億円以上の価値があると、 トヨタのある人に言われたことは前にも書いたが、新車がヒットするか否かは、 外観デザインに依存する度合いが比較的大きい事は周知である。
 万一、不人気の場合は、早急に次なるものを立ち上げないと多大の損失を被る。 部品の生産ラインなどは当時でも3か月あれば切り替えられるが、 板金のプレス型はデザインから完成まで半年から1年かかると言う。 当然自動車業界でも、先行手配などして、この対策に腐心していたことだろうと思う。

 昭和40年代のそんなある日、日産自動車のS部長(のち取締役)から突然の電話をいただいた。 "自動車1台をぶら下げるくらいの大型放電加工機の技術的可能性を問う"と言うのである。 Sさんとは技師の肩書きの時代に何回かお会いした程度であるが、 放電加工の将来性にかなり期待されていた一人であった。
 大型プレス金型の型合わせも視野に入れたいということで、 電極懸垂重量が10トンを超える大型機械になる。 簡単ではないが、いくつかの問題点をクリアすれば可能性はあると、 取り敢えずの答としたように思う。将来はどんな新技術が生まれてくるかわからない。 不可能と思われていた電極低消耗も可能になったのである。
 昭和40年代の半ば、三菱電機が開発製作し、三菱自動車に収めた大型放電加工機が発表されて、 関係者間で話題になった。 電極に電鋳電極を使ってプレス金型を加工したという内容のものであった。 まだまだ問題点はあるが、将来は期待できるだろうと言うようなことが書いてあったように思う。 論文などには大体はそう書いてあるので、記憶が混同しているかも知れないが。

 この情報とか外国の大型機の情報などが引き金になって、 ほとんどのカーメーカから大型機に関する相談やら打診やらが相次いだ。 しかるに当時のジャパックスでは人員抑制策がたたって、積極的な対応が困難になり、 見積りも敬遠していた。見積り仕様書作成にもかなり手間が掛かる。 それに加えて、私には2トンクラスでの失敗例が記憶にある。 それは会社にとっても大損であった。
 ところが放っておけないような状況が生じた。 日産自動車の工機工場から電極懸垂重量15トンという大型放電加工機の具体的な見積り依頼が 入ったのである。 前述の事情から、成算が立たないので、辞退しようと社内ではいったん決めたが、 見積りも出さないようなら、今後一切出入り禁止だと営業が脅されてきた。
 本件担当の工機工場のK課長は、前にも書いたNさんと違って、放電加工についてよく知らず、 人間的にはかなり強引でかつ横柄な人だった。 彼は何としてでも相見積もりを取りたいのである。 上司からの厳命であろうか。 会社としても今後一切引き合いをシャットアウトされるのは困るので、 まず営業の責任者が動き、研究所の協力も得て対応に向け重い腰を上げた。
 対応すると決まれば、マシンをつくってくれるパートナーを探すことが先決問題である。 15トンもあるものをミクロンオーダーでサーボコントロールしようとしたら、 かなり剛性の高い機械が必要になる。 そんな大型放電加工機をつくれるところは、日本にもそう多くはない。

 放電加工機に15トンもの懸垂能力を求めるのは、 放電加工を利用した型合わせもやろうという発想である。 手作業に頼っていた型合わせを放電でやろうという試みは前から検討されており、 日産でも重さ250キロ程のミニモデル的金型では実験されていた。
 その程度のミニモデル加工でも、シングルコラムの放電加工機ではコラムの歪みが問題になった。 かなりの曲げ荷重がかかるためコラムが歪んでしまい加工が安定しない。 要するに極間の真空に近い状態を、サーボで引きはがす力がかなり大きいのである。 加工物に穴を明けて、加工液の流入を助けてやればよいが、その後の穴の補修が面倒である。

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